慣れない


 慣れない、と思う。
 元々中途半端な家に生まれたのが運の尽きだったのかもしれない。下々の者には疎まれ、本当に偉い奴らには鼻で笑われる、そういう位置だ。召使いは顎でこき使いながら目上にはへつらう両親の姿を見て育ってきた。どいつもこいつも馬鹿ばっかりだった。まあ幸いにして僕には生まれながらのこの才能があったので過去最低年齢で大学への編入を許されて馬鹿どもの巣から脱出したわけだが、放り込まれた先でも馬鹿がたむろっているのは変わらず、己の分をわきまえない馬鹿が嫉妬に狂って攻撃してくることも珍しいことではなかったものの、知識の量や弁論でこの僕に勝てるわけもなく正面切って来た奴は論破してやったし、姑息な真似をする奴にはこちらも得意のおべんちゃらで教授を味方にしてそれ相応の手段で報復させてもらった。誰も彼もが敵だらけの中、負けないように潰されないように勉強して勝ち抜いて生き残ってきた。あの前も後もそれは変わらない。降りかかる悪意をいなして返して見下して、そうやって生きてきたんだ。
 だから、慣れないと思う。

 元々の原因は何だったかももはや思い出せない、もはや日常にありふれた喧嘩の最中だった。内容自体は普段と変わることはなかったが、悪いのは自分の位置取りだったと言える。頭に血がのぼって振り上げた腕の横に節々がささくれ立ったぼろい机があることを思い出した時には遅かった。
「……っ!」
 突然の痛みに右腕を引き見やれば皮膚が大きく裂け、今にも真っ赤な血が溢れださんとじわじわと滲み出はじめているところだった。これは案外深いかもしれない。痛みもそうだが何より自分で振り回して物に当たって怪我をするなんて間抜けな失態を犯したことにひどく腹が立ち舌打ちをする。
 と、次の瞬間には手首を思い切り掴まれた。
「っ、のバカ!」
 険のある目つきは言い争いをしていたときのまま、焦りが顔と言葉にありありと浮かんでいた。
 一瞬、何に対してかを計りかねる。僕が怪我をしたことならそれは紛れもなく僕の醜態であって、笑われることではあっても怒られることではないはずだ、と思考を巡らせるが、すぐにああそうだこいつは怒る奴だったと判断する。その上で、挑発には挑発を、という自分のルールを優先させる。
「だ、れが馬鹿だてめーに比べりゃよっぽど」
「あーもううるっせえ! そのまま動かすな!」
 文句が大声にかき消され、声量の大きさで勝負をするのはフェアじゃないと更に続けようとしたところで奴が後ろを振り向き壁に立てかけてあった杖を手に取る。おいそれは僕のだ勝手に使うな、と言ってもおそらく聞きやしないことは知っている。一応口に出してはみたものの、既に治癒術の詠唱に入っていた奴は当然受け答えなどしなかった。
 こいつのこういうところが理解出来ないし、慣れない。
 今の今まで対立していた相手なのだから放っておけば良い。別にそう大したものでもないし、僕だって自分でこれぐらい何とか出来る。お前がやることじゃない、それは侮辱にも等しい行為となり得るんだ。ということを僕は既に幾度となく目の前の相手に伝えているのだが、僕の意見が参考にされる兆候はこれっぽっちもなく、最近は苛立ちと諦観が半々となってきている。
「……っと。まーこれで大丈夫だろうが、まだ痛むか? 痛みが続くようなら念のために薬塗ってやるけど」
 詠唱を終えてすっかり完治した腕を取り、傷のふさがった場所をなぞりながら気遣わしげに訊いてくるその様子が何故だか心をざわつかせる。その手つきが柔らかく、優しげなのがまた落ち着きを奪っていく。
「……いらねーことしやがって」
 こちらを伺う目とはあくまで視線を合わさずに吐き捨てる。これでアベリオンが言い返してくればさっきと同じ喧嘩になってこの座り心地の悪さから解放される、と願うけれども、現実は――いや訂正する、こいつはいつだって思うようにはならない。
「礼くらい言えっての、こっちは心配してやったんだから」
 心配、という言葉が頭に響く。何だそれ、何でお前が僕にそんなもの。内心そう唱えながら眉間のしわを崩さないようにして顔を上げれば、そこにはひどく真面目な顔をしくさった奴がいた。
 慣れない。どうしたらいいかわからない。挑発には挑発、罵声には罵声で答えればいい。そうやって相手を打ち負かしていくのが自分のルールで、それで今まで困ったことなど何一つ無かったのだ。けれどこの目の前の男は普段はそれに相応に応じてくるくせにしょっちゅう思い出したかのようにルールを無視してはこういったことをほざく。表面上だけだったらまだ随分とましだったものを、こいつに限っては本気だからたちが悪い。そんなものにどう返したら見返せるのか、どうしたらいいのか、僕は知らない。
「………………誰も頼んでねーんだよ、そんなんで礼とかもらえると思ったのか? おめでてーな」
 なんとか言葉をひねり出し、嘲笑いながら悪態をつく。これできっと奴も不愉快な表情になるはず、との打算を含めて。
 しかしそこにあったのは何とも間抜けな呆れ顔で。
「……お前、本当に慣れないのな」
「……は?」
 慣れないって、おい、何にだ、お前まさか僕の頭の中読んでるんじゃないだろうなそんな魔法使ってたらぶっ殺すぞ、とあり得ないことを考えて結果言葉に詰まるくらいには情けなく動揺した僕の前で件の人間はすっかり毒気を抜かれた様子で頭をかきながら独り言のように並べ立てる。
「ああもういいわ、なんか馬鹿らしくなった。俺もう寝る」
 一方的な休戦を申しつけてきたアベリオンであったが一方の自分もそれをはねつけるやる気は既に削がれていて、お互いにここいらが潮時かと理解して今日の日課が終了する。この住宅事情だと険悪なままではベッドにも潜ることは出来ないので寝る前には大体終わらせるのが通例になっているが、こうも中途半端に終わるのも久しぶりだ。まあ明日になればまたいつも通りだろう、そう思いながらベッドの上に座り自分の領地に入ろうとした、その矢先だった。
 上から覆い被さってきたアベリオンが、僕の肩を抱く形でもろともにベッドに倒れ込んだのは。
「…………!?」
 いつの間にか目の前に相手の顔がある。状況の把握に手間取っているこちらをよそにアベリオンは掛け布団を片手でかけ直し、それからもう一回、僕を抱き寄せ、目を閉じた。おい、ちょ、おい、待て、おい。
「……っ、おい、あ、アベリオン!」
「あ?」
 抗議の意を存分に込めた声で名前を呼ぶとさもうるさいと言いたげな形で目が開かれた。お前寝る気満々か。
「あ?じゃねえよ、何だよこれどういうつもりだお前」
 顔に息のかかりそうな近さに動揺するのをひた隠しにしながら睨み付ける。玻璃瓶に布を一枚かぶせただけのこの薄暗がりでは自分の顔の色もよくわからないだろうが、心臓の鼓動が伝わるのではないかと危惧された。念のためさりげなく胸を押して離れようとしてみたが背中に回された手がそれを拒む。くそが、大して普段やってること変わらないはずなのに何で無駄に力あるんだお前。
「……だってお前、こうでもしないとわかんねーだろ」
「はあ?」
 既にもう意味が分からない。なんでこんな狭苦しいベッドの上でさらに狭苦しい体勢を取らなければいけないのか。アベリオンの匂いが鼻孔をつき、相手も同じなのだろうかと無駄な想像力が働いて恥ずかしさが加速する。
「何がだよ訳わかんねーよ説明しろでなければ離れろ」
 至極真っ当な言い分をぶつけて反論を待つ。お前が正しいのならお前の正しさを証明してみせろ勿論真っ向から僕はそれを否定してやるが、と臨戦態勢に入ったところで、相手が微塵もそんな様子を見せないことに気付く。
「何が、って……」
 明らかに嫌そうな顔で言葉に窮しているのには思わずこちらが戸惑った。視線をそらせずにいると背中の手が僕の服を握り、布のこすれる感覚にわずかに身を固める。おい何だよ何か言えよ、お前が何か言わないと否定も出来ないだろ、何だこれどうすればいいんだ。
「…………もういい」
 ぽつりと投げ捨てるように呟かれた言葉が宙に消える。首を曲げて胸に擦り寄るような形で頭が寄せられたため表情は見えない。そこで忍耐は限界だった。
「……てっめ!離れろ!」
 全力で勢いよく引きはがしにかかれば緩んでいた体はあっけなく離れたが、不満そうな顔がそこに現れる。何だその目はふざけんな、あとお前の場合人よりずっと顔白いからこの暗がりでも顔に血が集まってるのよくわかるんだやめろ。
「っだよおとなしくしてろよ!」
「誰が!お前の言うこと聞く義理なんかねぇよ!」
「義理とかいらねーよ別にいいだろ減るもんじゃなし!」
「減る!何かが減る!何かしらねーが絶対減る!」
 結局の所そこからはいつもと変わらぬ小競り合いで、おとなしく眠れるわけもなく。どちらが言うことを聞くか、でまた勝負して、その結果は省略するが、翌朝は寝不足と慣れない体勢で寝た故の体の違和感で最悪だったことだけは言っておく。
 慣れるものか、こんなもの。


 了