河の底から
彼女 は河の底にいた。とても深い深い底の更に底。囚われた島からただただ上を見上げていた。 彼女 にとっては永遠に近い一瞬の時の中で多くの命が流れて消えた。 彼女 は 父 に言いつけられたように数多の人の子を見守りながら、その中でたった1人、 彼 を待ち続けていた。
―― あの者 だ
彼女 が手を伸ばすと、何千里とも離れているような水面に届いた。川面で今にも流れに呑み込まれんとしている揺りかごを 彼女 は包み込む。そうして 愛し子 の頬を撫でると、大河の流れは急に穏やかとなる。
――また、苦界へ戻ったのか
幾度目のことか 彼女 はもう覚えていない。それでも 彼女 は祝福を与え続ける。穏やかなる一瞬の/永遠の眠りを拒否しつづけて罪にまみれた手を洗い流そうとする1つの魂に。
―― 私 といれば、大丈夫なのに
彼 は 彼女 の手を借りずに忘却の河を渡る。 彼 を引きずりこもうとする黒い蛇も 彼女 には近寄れないから 彼女 は 彼 を引き留めようとする。しかしそれが叶うことはない。
――すぐに/ずっとずっとあとに帰ってくる
彼女 は待つことには慣れていた。 彼女 はたった1つの魂を間違えることはないのだけれど、同じであるはずの魂は忘却の河の水を飲む度にかすかに色合いを変える。
――今度は赤すぎるから、きっとまた駄目だろう
彼女 は 彼 と最初に会った時の色をよく覚えていた。混じりけのない、純粋で、汚れ無き、だからこそ最も染まりやすい色。白。 彼女 はそれを待っていた。そうしたら今度こそ 彼 はとどまってくれると思っていた。
――あの影は、また、繰り返す
彼女 は 彼 の残滓には興味がなかった。 彼 を名乗る者が治めた気になっていた愚かな都は契約によって滅ぼした。その後 彼 を探したが 彼 は 彼女 の前に姿を見せなかった。やがて残滓が1つの計画を動かしはじめた。影が復活すること。 彼女 は 彼 の形をしたまがい物が愚行を繰り返すことに気分を害したが、その後に変化が起きた。
なにもかもに疲れたはずの 彼 がその影の行動によって贖罪の決心をした。
―― 私 も、また、繰り返す
彼 の残滓も、 彼女 も、等しく待ち続けた。
―― あの者 の魂が、白に戻るまで
彼女 はずっと待ち続けた。 彼女 にとっては一瞬のことで、永遠にも似た時間だった。 彼 の魂が川波に揺られる度に 彼女 は 彼 をそっと河岸へと送りとどけた。
そして、その時が来た。
―― あの者 だ
彼女 が見間違えるはずもなかった。そして 彼女 は確信した。今までの色の中で、一番白い。混じりけのない白だった。
――今度こそ、きっと、帰ってくる
永遠の一瞬が輝いた。揺りかごの中の 幼子 を 彼女 は丁寧にかつての都のあった地へ運ぶ。己を祭り上げる人間の住む町へ。
――お帰りなさい
彼女 にとっては一瞬にも等しい永遠が流れた。河の底の牢獄に在る 彼女 の元に、2つの魂が流れ着く。 彼女 は即座に白い輝きを放つ魂に手を触れさせる。指の一本が小さな蛇と化し、 彼 の苦しみ、悲しみ、怒り、憎しみ、なにもかもを呑み込む。楽しみも喜びも幸せも含む、苦界のすべてを。
――まどろみなさい
彼女 の優しい優しい声が、河の底を満たした。
了
彼女 は河の底にいた。とても深い深い底の更に底。囚われた島からただただ上を見上げていた。 彼女 にとっては永遠に近い一瞬の時の中で多くの命が流れて消えた。 彼女 は 父 に言いつけられたように数多の人の子を見守りながら、その中でたった1人、 彼 を待ち続けていた。
―― あの者 だ
彼女 が手を伸ばすと、何千里とも離れているような水面に届いた。川面で今にも流れに呑み込まれんとしている揺りかごを 彼女 は包み込む。そうして 愛し子 の頬を撫でると、大河の流れは急に穏やかとなる。
――また、苦界へ戻ったのか
幾度目のことか 彼女 はもう覚えていない。それでも 彼女 は祝福を与え続ける。穏やかなる一瞬の/永遠の眠りを拒否しつづけて罪にまみれた手を洗い流そうとする1つの魂に。
―― 私 といれば、大丈夫なのに
彼 は 彼女 の手を借りずに忘却の河を渡る。 彼 を引きずりこもうとする黒い蛇も 彼女 には近寄れないから 彼女 は 彼 を引き留めようとする。しかしそれが叶うことはない。
――すぐに/ずっとずっとあとに帰ってくる
彼女 は待つことには慣れていた。 彼女 はたった1つの魂を間違えることはないのだけれど、同じであるはずの魂は忘却の河の水を飲む度にかすかに色合いを変える。
――今度は赤すぎるから、きっとまた駄目だろう
彼女 は 彼 と最初に会った時の色をよく覚えていた。混じりけのない、純粋で、汚れ無き、だからこそ最も染まりやすい色。白。 彼女 はそれを待っていた。そうしたら今度こそ 彼 はとどまってくれると思っていた。
――あの影は、また、繰り返す
彼女 は 彼 の残滓には興味がなかった。 彼 を名乗る者が治めた気になっていた愚かな都は契約によって滅ぼした。その後 彼 を探したが 彼 は 彼女 の前に姿を見せなかった。やがて残滓が1つの計画を動かしはじめた。影が復活すること。 彼女 は 彼 の形をしたまがい物が愚行を繰り返すことに気分を害したが、その後に変化が起きた。
なにもかもに疲れたはずの 彼 がその影の行動によって贖罪の決心をした。
―― 私 も、また、繰り返す
彼 の残滓も、 彼女 も、等しく待ち続けた。
―― あの者 の魂が、白に戻るまで
彼女 はずっと待ち続けた。 彼女 にとっては一瞬のことで、永遠にも似た時間だった。 彼 の魂が川波に揺られる度に 彼女 は 彼 をそっと河岸へと送りとどけた。
そして、その時が来た。
―― あの者 だ
彼女 が見間違えるはずもなかった。そして 彼女 は確信した。今までの色の中で、一番白い。混じりけのない白だった。
――今度こそ、きっと、帰ってくる
永遠の一瞬が輝いた。揺りかごの中の 幼子 を 彼女 は丁寧にかつての都のあった地へ運ぶ。己を祭り上げる人間の住む町へ。
――お帰りなさい
彼女 にとっては一瞬にも等しい永遠が流れた。河の底の牢獄に在る 彼女 の元に、2つの魂が流れ着く。 彼女 は即座に白い輝きを放つ魂に手を触れさせる。指の一本が小さな蛇と化し、 彼 の苦しみ、悲しみ、怒り、憎しみ、なにもかもを呑み込む。楽しみも喜びも幸せも含む、苦界のすべてを。
――まどろみなさい
彼女 の優しい優しい声が、河の底を満たした。
了