宿題


「……ふっ……んっ……」
 軽く、ついばむだけの口付けが繰り返される。唇を軽く上からなめられて思わずぎゅっと唇を引き結ぶとアベリオンが軽く睨んできた。舌の侵入を拒む僕への無言の抗議なのだろうが、それを素直に受け入れる義務はない。あえてそれを無視してやっているとこいつは方針を転換し、今度は僕の首筋に顔を寄せる。
「………っ」
 軽く落とされるだけのキスが背筋を震わせた。反射的に目の前の服を掴んだらそれに奴は気を良くしたのか、僕の上衣をまくりあげ腹を撫でる。普段人に触れられることのない部分への刺激に思わず腰をひくと、アベリオンは僕を追いかけ耳をねぶった。
「……そこ、やめ、ろ」
 人の息が耳にかかるのは気持ち悪い、気持ち悪いはずなのにどうして離れていく唇を惜しいと思ってしまうのだろう? やつは再び僕の唇に顔を寄せる。触れるだけのキスが心地よく、同時に物足りなく思ってしまうあたり僕も相当毒されている。
「………んっ……!」
 アベリオンの舌が僕の舌に触れる。顎をひいて逃げようとするも、後頭部を押さえられていてかなわない。ちくしょうこのやろう。逃げてばかりは癪なのでこちらからも攻勢に出てやる。舌をからみつかせるともはやどちらのものだかわからない唾液が一筋こぼれ落ちる。眼前ではアベリオンが余裕のない顔をしていて僕は少し満足する。お互いの息が苦しくなったところで離れるとすっかりアベリオンの顔は上気していた。こいつ顔白いからすぐ赤くなるんだよな。
「……っ、つ……」
 再び首筋を唇が這う。舐める舌の感覚が、かかる息が、全身に伝わって震える。
「お前、ここ弱いなあ」
「……黙れよ」
 そういうこと言うなっていつも言ってるだろーが。僕は短く抗議するが、次に服の中で直接背中を撫でられてから続くことはなかった。
「……っ」
 ぎゅっと肩を掴む。お互い抱き合う形で、アベリオンは僕の首筋に顔を埋めているので顔が見えないのが幸いだが、その分耳元で声がするし、僕も奴の耳元で声を出してしまう。
「シーフォン」
「……ふっ………うあっ」
 首筋への愛撫と同時に、服の中で動いた手が前に回り胸を撫でる。小さい突起を親指で軽く押され、肩を掴む手に力が入る。
「んぅ……く、んっ」
 最初はそんなもので感じるものかと言い切ったのに、幾度も幾度もいじられて今やこのザマだ、ちくしょう。胸に神経が集中する。刺激が加えられるうちに立ってきたそれを今度は軽くつままれる。服の中で何をされているのか、見えないから予想ができなくて強く反応してしまう。
「んあ、アベ、リオン」
 名を呼んで、首筋に埋めていた顔をあげると奴も同じく顔をあげ、視線があい、当然のごとくキスをした。ただしその最中にも奴は手を止めなかったので僕は漏れそうになる声を我慢しなければならなかった。唇を解放されると同時に、お互い向かいあって座っていた状態から押し倒される。服を勢いよくまくりあげられ、腹から胸までが空気にさらされる。今度は指ではなく舌が胸に這わされた。
「つ、んっ……」
 思わず僕は顔を逸らす。ちゅ、という音ともに触れられた部分が濡れていく。唾液が体の熱を奪い蒸発していく感覚すら血を熱くする。反った背中に手が回され、緩やかに撫でられる。左手は繋いでいた。
「……ふ、あっ」
 強めに吸われて思わず声をあげる。左手を握りしめ、右手をアベリオンの頭に回した。
「……おい、はげる」
「……はげろ」
 多少強めに髪の毛つかんだところではげるわけもないだろーに。背中の手が抜かれ、胸にあった顔がこちらまでやってきた。額に口付けを落とされ、頭を撫でられる。まるで子どもをなだめるような動作に腹が立たないこともないが、こんなことでひどく安心してしまう自分もどうかしている。
「……顔、もう少し、落とせ」
 この体勢で自分から首をあげるのはかったるいので命令する。言ったとおりに寄せられた顔に、唇に軽い口付けをする。頭を撫でる手がゆっくりと僕の頬におりて、撫でる。
「で、そろそろ勃ったか?」
 脈絡もなく股間に手が伸ばされ、ゆるくなっていたズボンを通り抜けそのまま掴まれた。やわやわと刺激が与えられる。
「……っ、」
 着たままだと布が邪魔で、いじられるたびにこすれて、変な感覚が一層僕を支配する。
「……脱がせ、ろっ……」
 もう手遅れかもしれないが、このままだと余計汚れる。それに、やはり見えないままというのが不安で、不安が感覚を更に強めた。
「自分で脱げばいいだろ」
 奴はことなげに言い放ち、強く擦りあげはじめる。首筋にキスを落とされ、左手はほどかれ代わりに胸を弄ってくる。
「ふあっ、う、ん、はっ……あっ」
 一度に沢山の刺激を与えられるとどうしたらいいかわからない。こいつがまた的確に弱いところをついてきて僕を支配するのが悔しい。その中でもどうにか下を脱ごうとするが、上にのっかる奴のせいでうまくいかない。
「あ、べりおん……!」
 抗議のつもりの言葉がキスに呑み込まれる。舌が差し込まれたので僕も応じると長くなり、頭がぼうっとする。気持ちいい、と感じた。心ゆくまで貪って、一回離れたが、首筋に降りようとする奴の頭に手を伸ばすと、僕の意図を察したアベリオンがもう一回唇を寄せる。言わなくてもわかるのは楽でいい。苦しさと平行して快楽がじわじわと侵食していく感覚が好きだった。キスの最中頭や頬を撫でられるのも嫌いじゃない。
 しばらくそうしていただろうか、さすがに息が切れたところで唇が離された。鼻先がつくくらいの至近距離で見つめ合い、熱のこもった赤い瞳をとらえる。また上と下とを弄られる。繋いでいたつもりの理性がそろそろ本気で危うくなってくる。ああこれだから嫌なんだ、こいつとこういうことをすると、何もかもを投げ出してしまう。
「ふっ……、はあっ、アベ、アベリオン、もっ…!」
 気持ちいい。今だっておかしくなるくらい気持ちいいけれど、この先がまだあることを僕は知っていた。
「……シーフォン、脱がせてくれよ」
 アベリオンは未だ昼の格好のままで、普段着を唾液で汚していた。着たまま始めたせいで僕も汚していたが、こっちはこいつに散々好きに弄られたおかげで服が服の機能をなしていないのに、アベリオンがまだ着衣を乱していないのはひどく不服だ。
「………」
 黙ってまずは上着に手を掛ける。一枚脱がすと額にキスをされた。それからシャツのボタンを一つずつ外していく。全て外したところで、お返しにあらわになった首筋にキスをした。最後にズボンと下着を一気に下ろす。ああこいつもうこんな興奮してやんの。
「よーし、上出来」
 頭を撫でられキスを落とされる。上から目線がまったくもって気に入らないが黙っておく。体のあちこちをついばまれ、遠くに行きかけていた羞恥心が再び呼び起こされた。恥ずかしさに耐えていたところを次の瞬間思いっきり下衣をはぎとられた。空気の冷たさが肌に触れるが、すぐに手が添えられた。
「……っ!」
 油を塗ったくった指の独特な感触を感じ取る。気持ち悪さが最初はあるが、
「……あ、んっ……」
 奴の中指が巧みに曲げられ、ある一点を突く。ゆっくりとそこを撫でられて背中が反った。ちくしょう、最初は嫌で嫌で仕方なかったはずなのに、どうして。そんな悔しさも、腰の疼きが段々と薄めていく。
「うああっ、あっ……そ、こ、嫌だっ……」
 嫌だ。自分が段々遠のいていく。理性がはぎとられ、お前しか見えなくなっていく。それが嫌だ。
「いーんだろ」
「は、んっ……!」
 良くない、嫌だ、気持ちいい、嫌だ、アベリオン。夜の静謐に自分の声とアベリオンの指が立てる音が割ってはいる。耐えきれずに咄嗟に自分の口をおさえ声を殺そうとすると、やはりすぐに手をおさえつけられた。畜生。指が快楽を誘い、動きに呼応して息が乱れ、アベリオンが満足げに僕を見下ろしてくることが悔しくて、けれどアベリオンが僕だけ見ているのは気分が良くて、頭の中がお前に侵されていく。
「シーフォン」
 指が抜かれた。と同時に足が持ち上げられる。太ももの内側にキスをされ、それすらももはや敏感に感じ取ってしまう自分がもう駄目だと思った。
「く、あっ!」
 指とは比べものにならない存在が入ってくる。痛みが襲い、シーツを強く握りしめると、その上から手がかぶさった。シーツなんかよりずっとあたたかいその手を握る。
「……ふ、うっ……」
 ゆっくりとおさめられ、ゆっくりと抜かれていく。気遣うような動きが気持ちよくて、焦れったくて、腰を浮かす。
「うあ、ああ」
 腰を撫でられ、担がれた足にキスを落とされる。ああもう駄目だ、アベリオン、アベリオン。繋いだ手ではない反対側の手を伸ばすと掌にキスをされた。
「あっ」
「……お前本当、どこでも感じるな」
 うるさい馬鹿、お前が悪いんだ、お前だからだアベリオン。
「んっ……!」
 強めに揺さぶられ、意識が下腹部に集中する。うあ、駄目だ、もう保てない。
「……あ、あ、ん、く、あっ、あっ!」
 打ち付けられるリズムに合わせて喘ぎ声が漏れる。時折体を折り曲げられてキスをされる、キスをねだる。
「あ、べりおん」
 額に落とされるキスはあたたかく、頬へのキスはくすぐったく、口へのキスは気持ちがいい。全部欲しい、アベリオン。お前の全部。
「……甘えん坊」
 うるさい。甘えて何が悪い。
「ふ、あ、あんっ、あっ、あっ」
 タガが外れ、空いた手で強く抱きつく。気持ちいい。気持ちよすぎてもうどうにかなってしまった。お前のせいだアベリオン、アベリオン、お前が、お前が。
「――アベリオン」
 名前を呼んだ。ただそれだけが求めるものだった。


 大体お前から仕掛けてくるくせに、朝になったらお前が落ち込んでるってのはどういうことなんだ。布団に潜ったまま出てこない同居人の背中を見つめて問う。
「うるさい、黙れ、はげちらかれ、荒野になれ」
「いやいや俺ふっさふさですから、ご先祖様から代々ふさふさの家系ですから」
 頭まで布団をかぶったその姿はまるで白い芋虫だ。めんどくせえなあこいつ。
「――シーフォン」
 名前を呼び、動かないことをいいことにその上に乗る。折しも昨夜の再現の体勢に、狙い通りに目の前の相手は抵抗を示した。
「何やってんだよ、どけよ」
「どいたら出てくるか?」
「んなこた言ってねえ」
「じゃどかねえ」
 手は布団の中だな、じゃ暴れられないだろう。俺はシーフォンの顔に手を伸ばした。気付いたシーフォンは逃れようとするが、がっちり捕まえている今となっては遅いことだ。顎に手をあて、顔を寄せる。
「んっ……」
 ぎゅっと固く目と口を引き結ばれて俺はさてどうしようかと思案する。とりあえず唇を舐めてみる。それから頬に、目元に音を立てるようにしてキスをする。額に口付け、抱えるようにして頭を撫でる。それからもう一度唇に触れるとやつがそろそろと目を開けた。眉間には皺が寄っていてさぞ不服そうな顔だが、頬をほんのりと染めた赤みが迫力を軽減している。
「やめろ炙んぞ」
「起きるならやめる」
 大体今更のことなのにこういうのを無駄に嫌がる面倒くさいこいつのことなので、こう言えば俺を突き飛ばしてベッドから飛び出るだろうという算段はあった。起きれば後はどうにかして朝飯の手伝いをさせられるだろう。俺はシーフォンが「調子のんな死ね!」と毒づきながら身を起こすのを待つ。
 けれど予想に反して、やつは一向に動く気配を見せない。ああめんどくせえ。もう一言俺は念を押して、顔を近づけ脅しに入る。
「早くおきねえと舌いれんぞコラ」
 嫌ならとっとと起きて着替えて朝飯の支度を手伝え。俺はそういうつもりで、つまりはただのポーズのつもりで舌を出す。
「……………」
 しかしシーフォンは動かなかった。いつものような不満げな表情で、赤い顔で、黙って俺を見上げている。想像していた抵抗がないことに俺は若干戸惑い、逡巡し、そして一つの結論を出す。
 珍しく素直になってるのか、これ。
「……シーフォン」
 名前を呼び、ゆっくりと唇を重ねる。乾燥した感触にやっぱり男のなんてそういいもんでもねえなあと感じながら、シーフォンの赤毛を梳く。耳たぶをいじりながら唇をなめると奴が唇を薄く開いたので、それを合図に舌を侵入させる。積極的ではないにしろ逃げることなく受け応えるので俺は本当に夜でもないのに珍しいと思う。程々にして唇を離し今度はまぶたの上に軽く口付け、頭を抱く。すると奴の手が俺の服の裾を掴んだ。なんだこれ本当に珍しいな。いつもこうならまだ、なんだその、かわいげもあるっつーか、ああでも滅多にないことだから俺は今動揺しているのか、とにかく俺の腕の中でシーフォンは抵抗も見せずにじっとキスを受けていた。絶対に認めないけど、キス好きだもんな、こいつ。俺が耳にターゲットを絞ると、シーフォンは俺の肩に頭を寄せ、裾を掴んでいた手を俺の背中に持っていった。一言も発しないが甘えられているのだと理解する。きっと今俺から見えない顔は真っ赤なんだろう、さぞ悔しそうな、恥ずかしそうな顔をしているのだろう。そう思うと俺も思わず手に力を込めてしまい、同時に顔が火照るのを感じ取る。ちくしょう俺にまで恥ずかしいのがうつったぞこの野郎。変に高まった気分のせいで俺はどうにも次の行動を迷ってしまい、とりあえず癖で再びこいつの頭を撫でると慣れ親しんだ感覚が一層胸の中のツボをついてしまい、やばいと思った俺は膨張寸前の感情の空気を抜こうとして口という弁を開く。どうにかこれを発散しようとして、俺は頭をかけめぐる熱の、一端を表すたった一言を、思わず呟いた。
「……好きだ」
 坂に置いた球が転がるがごとく、気付いたら口に出していたんだ。一瞬時が止まったかのような感覚がして、そして俺は自分の言葉を反芻した。好きだ。何が。
「……っ!」
 俺が焦ったのと、シーフォンが顔をがばっと振り仰いだのはほぼ同時だった。大きく見開かれた瞳が俺を注視し、アホみたいな半開きの口からは一言も声が出ず、そしてこれ以上なく、真っ赤だ。けれど多分その時は俺も同じような表情をしていたのだろう。俺は何を言ったんだよりにもよってこんなのにそんな今まで言ったこともなかったのに言ってたまるかとすら考えてたのにこいつがこんなんだから認めた方がきっと負けだってそう思ってたのにああちくしょうそうだよ俺の趣味はこれ以上なく悪いんだ!
「………っ、え……」
 好きだ、の意味するところはマヨネーズをかけた目玉焼きなんかのことではないとわかっているであろうシーフォンがろくな反応も出来ずに固まっている。いっそここでキモいだとか何言ってんだとか返された方がまだマシなものを、直前まで甘えただったからかそれだけ頭を回転させることもできないようで、羞恥の証の赤みが耳にまで伝わっている。やめろばかそれこっちにまで移るんだよ。俺は耐えきれずにシーフォンをがばっと強く抱き寄せ、肩に顔を埋める。これなら顔を見られることはない。
 無言でただ強く抱きしめると、少し後に同じく背中に力を込められた。これがこいつの精一杯の返事だと俺は知っている。この所作すら愛しく思ってしまう俺は真剣に頭がどうかしている、どうかしているのにどんな治療薬を飲んでも治らないんだよくそったれ。
「シーフォン」
 朝飯はもう少しあとでいい。俺は上体をひき目の前の口を口で塞いだ。とにかくヤっちまえばこの空気も流れると信じたい。シーフォンは小さく俺の名を呼び、肩を握りしめる。ちょっとこりゃあ優しくしてやれそうにねーな、と心中俺は呟いた。