つまりまったくもって大馬鹿野郎なのだ、こいつは。


力と死と彼


 初めて会ったときの印象は「なんだこいつは」。遺跡が発見されてからというものホルムの街には徐々に知らない顔が増えていき、街の中心部にあるひばり亭は商売繁盛の嬉しい悲鳴の一方、昔なじみのホルムっ子にとってはよそ者が増えていってどこか寂しいような落ち着かないような気持ちになっていた頃だ。探索者同士のつまらない小競り合いはそのときには既に名物とは言わないまでも珍しいものではなくなっていたが、その日違っていたのは、揉めている奴らが鎧に身を固めたデカブツ同士ではなく、片方が杖を手に持ちローブをまとったいかにもな魔術師然とした男であったことだ。そのくせそいつは一般の魔術師のイメージを鼻息で吹き飛ばすかのようなチンピラっぷりで(その点については俺も人のことは言えないのだが少なくともこいつやパリスよりはマシだ、多分、きっと)、紳士的に止めに入った俺様にむかって勝負なぞを申し込んでくる始末。無論よそ者のガキになめられるわけにはいかないので、紳士的に受けて立ってやったのがファーストコンタクトというわけだ。

 俺自身は俺以外の魔術師なんて別にパーティーに入れる必要は全くないと思っていたわけだが、ネルを誘ったらネルが勝手に残り一人を決めてくれやがった。いわく、「魔法使いってすごいでしょ? アベリオンはあっという間にニョロ焼き払っちゃうし。それが二人いたらもっと強いじゃないですかー」とのこと。まあどんな集団相手でも一掃できる魔術師最高という意見はおおいに認めるが、それが二人というのはバランス悪いっていうかどうせすぐ集中砲火されてあっという間に沈むぜこいつ、と口に出したら、人のこと言えんのかテメーと返されてまたひばり亭で喧嘩になった。熊女は最初は苦笑しながら見ていたが俺たちが杖を出した瞬間慌てた顔でひょいとそれを取り上げ、最終的には俺と奴の首根っこをつかんで店のドアへ引きずっていったので喧嘩どころではなくなった。いや別に俺が特別力がないとかでなくてこの女が突然変異でおかしいだけでな、てか俺はそういう腕力じゃなくてな力は頭脳だと考えているわけだしな魔術のが何倍も応用が利くしまあ今は焦点具取り上げられて何もできないわけだけどつまり何が言いたいかというと悲しいな俺たち、と同じく横で引きずられている奴と初めて目と目で通じ合った気がしないでもない。
 実際魔法というのは強力だがそれだけに消耗も激しい。遺跡の中、まとまったやつらの相手を俺だけでやっていると体内のエーテルがすぐに枯渇するが、全体魔法係がもう一人いると単純計算で消費が二分の一になるのはそれなりに大きかった。ただしその分アップルパイの消費者は俺だけじゃなくなるわけで、最後の一切れを争った回数は片手ではおさまらない。雑魚の攻撃二発で沈んだあいつをあざ笑い、次には俺が死んだのを鼻で笑われ、敵の攻撃が前衛に集中してるところを二人で焼き払った。遺跡のところどころにある古代の碑文を読む早さを競い、書物が眠る部屋では二人して没頭し残る一人を退屈で死にそうなぐらいに放置した(俺と奴とテレージャで書庫漁りをはじめ気付いたら丸一日経っていたときはさすがに笑った)。誰が言ったのか、あるいは複数から言われたのか忘れたが、お前らほんとよく似てるなと呆れたかのように口にされたときは、「似てねーよ!」と二人してハモってまた嫌な思いをした。

 だがしかしこれだけは言っておく、俺と奴はちっとも似てなんかない。大体俺は在野の賢者の弟子兼魔術師であいつは妖術師だ。ネルのような魔法一般にとんと縁がない人間からしたら区別がつかないのも無理はないかもしれないが、テレージャぐらいには見分けてほしい。あ?西シーウァではどちらも存在自体禁忌だからよく知らない?じゃあ今知っとけ! 俺が得意とするのは火の魔法、そして風の魔法だ。神々から賜った偉大なる人間の道具と、大いなる自然の産物、両方を極める俺はまさに存在自体が鬼に金棒と言ったところかな。崇め奉ってくれてもかまわねーよ? そしてあいつら妖術師は雷と闇を使う。中二くせーよな、ねーよな。闇とか特にねーよ何それかっこつけ? そんなんじゃ絶対主人公になれないね、惨めにやられる敵役だね、しかもあいつの場合はラスボスでもないただの前座だね。だから爆炎の投射のがいいって、炎上いいじゃねーか、命中率低下の方が使いやすいとかそういうこと言うなって、爆発フラスコで代用できるとかうるせーよあーもううぜえ笑うなバカ竜巻で切り刻んでやろうか!
 ……であるからして俺は奴のように悪趣味な本に興味はないわけだ。俺たちのような呪文使いは古代の本を読むことによって自ら構築式を生み出し新たな呪文を覚えることも可能であるが、書によって当然相性というかやる気の差はある。早い話が俺は死者の書とかいうへんてこな書は極めてどうでもよかったのだ。仮に読んだとして出来る構築式は死霊やらの分野になることは明白だったのでさして興味も惹かれなかった俺は欲しいという奴にさっさと渡してやった。ここらへんが俺と奴の度量の差をよく表していることだろう。後日「そんなにいいものか?」と疑問に思いあいつの荷物をあさって冒頭だけ読んでみたが、死んだ者の体がどうの魂がどうの、やはり興味が持てずに半分もいかずに本を閉じた。俺が知りたいのは死後の世界などではない、この世の理だ。たとえば薬草一つとってみてもその草は確かに人間の怪我を治すというイデアをその内に内包していることになりその生まれもった性質を発現する過程と能力が……まあ、つまり、草すげえということだ。種から実をつけるまでの過程、雨粒が大河となり海に溶ける過程、星が彼の光を手に入れて失うまでの過程。世の中を支配する数多の流れに俺は惹き付けられていた。死は一つの流れの終着点に過ぎず、それ以上でも以下でもない。水の上を流れる葉の動きを追うのが一番好きな俺は、岩にひっかかってぴくりともしない葉を眺める行為に価値を見出せない。遺跡自体も俺にとっては大量の枯葉の塊みたいなもので、まあ枯葉もまた土に還り大樹を育てる土壌になるという意味では大きな流れの一部ではあるのだが、水の上の葉で例えれば沈没寸前の葉のようなものだ。そんなものを観察するよりかは現在進行形のホルムという小さな木の営みを見ていた方がまだ面白いと思うのだが、わけのわからないものに価値を見出す人間は絶対いるもので、魔術師とはあまりよろしくない仲の巫女というものは特にそれが顕著であった。あ?私はむしろ巫女の中では少数派の位置だ? はあ、そーですか。で、その巫女様テレージャいわく、「君はまだまだ若いね」と。年寄りめいたこと言いやがって、ウチのジジイみたいなこと言うんじゃねえ。「だが同時に幸せ者だ」? 意味がわからん。
 遺跡は大量の腐葉土が積み重なったような場所だった。大樹から落ちた名も無き葉の残骸を、人の死を、踏みつけながら俺たちは進んだ。しかしこの場所は全く停滞した空間で、積もった人の死が次の流れに乗ることなく永遠にここに放置されているのは実に気分が悪かった。そう大きな流れの停滞に気分を害しただけであって、別に宮殿の「あなたの後ろにいます」や「見●いるよ」や「お客様だぁ!」ほか、石女に血まみれ浴槽に後ろから響く処刑機械の足音にマジビビリしたわけではない、わけではないが、隣で涼しい顔をしているあいつの顔を見ると腹が立った。死は終わりでしかない、終わりに過ぎないが、終わっちまったらもう動けなくなるんだぞ何がいいんだそんなの。
「だからいいんじゃねーか。さっきまで勢いよく手足を動かしていた怪物がぴくりともしなくなったその瞬間。土の小鬼が土と消えるその刹那。何もかもを奪っていく『死』が一番強いんだ。いかなる生も死には勝てない。どんなによく転がる球も最後には動かなくなる。死は絶対だ」
 わけがわからん。勝てないも何も生があるから死もあるんだろ。ていうか動かない球の何がいいんだ俺はボール遊びは大好きだが動かない球には微塵も魅力を感じない、手元に球があったら全力で転がしてやる主義だ。やはりこいつと俺は全く似ていない、正反対だとすら強く思う。俺が興味があるのは「どのように動くか」だ。「どのように終わるか」などではない。


 終わりなどには全くもって興味がないと豪語する俺のもとに容赦ない終わりがもたらされたのは柘榴石のニルサを手に入れたころだったろうか。ホルムの街を襲撃した神殿軍は元は遺跡が目当てだったらしいが、何の冗談かうちのぼろ庵とぼろ老人まで襲撃しやがった。秘石の導くままに大いなる魔力の流れに身を任せても、結局俺が為せたのは破壊のみ、失われた命を取り戻すことはできなかった。一度止まった血の流れはもう戻せない、動かない体は捨て置くしかない。「死は絶対だ」という言葉が頭をかすめた。けれど、たとえどれだけの死を、敵兵の骸を積み重ねたとしても、師匠の命一つ取り戻すこともできやしない。死は絶対かもしれないが、同時に、途方もなく無力だ。全ての生命は死へと収束するが、死体を百集めても生命を生み出すことはできない。この不可逆性が俺の崇める流れの真髄であることは理屈でわかってはいても、心が納得を拒んだ。立ち直るのにはしばらくの時を要した。
 あと少しで4つの秘石が全部揃うというところだったろうか?俺が匿ってもらっているひばり亭は奴も常宿にしているのでその頃には顔を合わせることも多かったのだが、その夜は周りに誰もおらず俺たちだけだった。奴は奴の体験した死を語った。術の比べ合いをした結果友が死んだ。力のあるやつが二人いればぶつかるのは当然、ぶつかれば片方が死ぬのも当然、たまたまそれがダチだっただけのこと。力を求めていけばどうせぶつかる、立ちはだかれば俺も遠慮無く潰すって? 上等だコラ俺だって全力でやってやんよ。だが俺とお前とでは決定的に違うことがあるそれはお前は「終わらせるための力」だが俺は「動かすための力」なのだつまり俺は殺し合いなんぞもうごめんだ。そしてもう一つ言うとだな、本当に後悔なんてしてないのなら、そんな話するわけねーだろばーか。


 かつてジジイにさせられたわけのわからないおつかいと、『鍵の書』が頭の中で結びついたのはその後のことだった。生まれてからずっと住んでいた庵を焼き払われた俺にとってそれは唯一のジジイの形見であり、同時にジジイが殺された元凶でもあった。力は時に死を招く。だが、あのクソ神殿軍の思い通りにはさせたくなかったのと、タイタス一世が残した書物であるということ、そしてなにより、師匠に託されたということが、俺の足を郊外の丘へ向かわせた。『鍵の書』を狙うのは神殿軍だけではないことを理解していたから、占領のとけた街を朝早く一人で駆けていった。街に戻ってからはひばり亭で準備をし、誰にも言わずに一人で遺跡へと潜った。今にして思えばパリスやネルと一緒に行けば怪しまれることもなかったのかもな。俺と奴であぶってやった黒竜の住処の奥、大廃墟の図書館の更に奥にそれはあった。一度も見たことがないはずなのに何故か俺はそれを知っていた。引き寄せられるように、水晶板で挟まれた紙束に手を伸ばしたその瞬間、聞き慣れた足音がした。
「よお。こんな場所で奇遇だな」
 慣れ親しんだ声は、パーティーのお誘いなどという友好的な調子では全くなかった。
「その『鍵の書』をずっと探してたんだ、お前も知ってるだろ? なあ、譲ってくれよ」
 何回か聞いたお馴染みの台詞からは死者の書のときのような熱意が感じられず、代わりに冷えた覚悟が伝わってきた。力を求めていけば、いつかぶつかる。今がそのときだと俺たちは理解していた。俺は無言で杖をかざす。
「……だよなあ。お前の師匠の形見だしな」
 奴は俯き小さく笑う。そして、不意に顔をあげた。
「なら実力で奪い取るだけだ!」
 廃墟の奥で、魔力の収斂する音が響き渡った。

 ―――どれほどの時が経ったのだろう。気がつけば魔力も尽きかけ、闇の力でろくに目も利かず杖の支えがなければ満足に歩くことも出来ない状況だったが、それでも、見下ろしているのは俺の方だった。
「ぐ、あっ……」
 俺が呼んだ風に巻き上げられ、壁に叩きつけられた相手はひどく腹が痛むらしく左手でずっとそこを押さえていた。右手は未だ焦点具から離すことなく、それを支えに立ち上がろうとしているが炎に焼かれた足はうまく言うことをきかないのだろう、努力が報われることはない。うずくまった背中には血が滲んでいる。たしかあそこに当てたのだ、魔力の矢を。
 矢を、背中に。
「……畜生……」
 フラッシュバックしかけた意識を野郎の憎々しげな声が呼び戻す。そうだこいつは違う、こいつは『鍵の書』を奪いに来た方で、俺はそれを守った方で、ああでも守りたいのは本当にこんなちっぽけな本だったか?
「どうしてお前なんだ? 何故お前が選ばれたんだ? 僕とお前にどんな差があるってんだ!」
 激情が俺の鼓膜をとおし身に響く。奴の声は、憎しみと、苛立ちと、痛々しさに満ちあふれていた。
「いつも、いつもそうだ! 秘石は僕を拒み、黒いオベリスクは僕だけのために古代への道を開くことはない! 畜生! 僕の方がふさわしいはずだ僕は力だけを求めているだから僕はお前なんかより余程優れていて僕は、僕は、……『鍵の書』もお前が持っていくっていうのかよ僕には力しかないっていうのに!」
 詠唱で枯れた声が耳障りにまとわりつく。なあお前は力を手に入れて何をするっていうんだ? 俺か? 俺はそう、何だったか。
 野郎の震える右手を足でぞんざいに蹴り飛ばす。衝撃でその手から杖が落ちたのをすぐさま風ではらい、届かない場所へ吹き飛ばした。これでもう相手は魔術を使うことはできない。舌打ちをし、心底恨めしそうに俺を見上げる奴の顔は屈辱に染まっていた。ざまあみろ負け犬。
「……抵抗すんなよ」
 俺はさっきまで本気で戦っていた相手の前にどっかりと腰をおろした。ナイフでもあったら確実に刺される距離でほんの少し緊張したが、奴はそんなものを持っている気配もなくわずかに身を守るようにたじろいだだけだった。うずくまる奴の胸ぐらをつかみ、空を仰がせることによって腹を抱えていた手の力を緩ませる。見たところ血はついていない。勢いよく服をめくりあげて生の腹を確認しても外傷は見当たらなかった。それなら中がやられてるんだな。
「……っにしやがる!」
「うるせえ」
 胸ぐらにやった腕をおもいっきり掴まれたので手を放す。右手で杖を持ち左手を奴の腹に置いた。本職の神官に比べたら未熟かもしれないが、一応術式はこれで合っているはずだ。あの日の後覚えた治癒術だった。
「て、めえ」
「後ろむけ」
 次は背中に移ろうと思い、簡潔に命令する。しかし相手はより不快な色を強めて俺を睨むだけで動こうとしない。敗者のくせに勝者に逆らうとは何事だと俺はイラッと来たが海よりも広い心の持ち主である俺は即座に脳に浮かんだ百の罵倒を口にすることなく黙って自分から奴の背中に移動した。こっちはローブごと肉が貫かれている。俺がやったことなのにどうしてこうも胸くそ悪いのかわからない。苛立ちながら外傷用の呪文を詠唱し、血を止める。
「他に傷むところはあるか」
 奴は質問に答えない。ガン無視かこの野郎死ねいや死ぬな。ああそういえば立つこともできなかったなと思い出し足に目を向ける。ブーツを乱暴に脱がし貧弱な足が真っ赤になっているのを確認してから詠唱するが、うまく杖に力が集まらない。くそ、もうこんな簡単な術すら使えないほど魔力が枯渇したか。俺は呪文による治療を諦め、戦いの最中放り出され奇跡的に無事だった自分の荷物から傷薬を取り出し、乱暴にぬったくってやった。火傷にも効くだろ、多分。
「――てめえ。僕を哀れみやがって。馬鹿にしやがって……」
 人が寛大にも人のもん強奪しようとした強盗相手に手当てしてやってるっていうのにその言い草はなんだてめえ感謝はされても恨まれる筋合いはねーぞこの野郎もっぺんくたばるかああ?なんて、売り言葉に買い言葉ならいくらでも出てくるが、違う、本当に俺が言いたいのはそういうことじゃない。苦々しいこの感情をうまく整理して言葉にすることができず、しかし黙っていることもできず、一言だけ口にした。
「………俺は、もう、後悔したくねーんだよ」
 後悔。そうだ、俺は、あの日あの場所で一番大切な人を助けることができずに、俺は、もう二度とあんな思いはしたくない。目の前のこいつは師匠には及ぶはずもない存在で、うざくてむかつく上に本気で敵対する間柄だが、それでもここで殺したらきっと後悔する。死んだらもう罵ることもできないのだ。
「……いつかお前は、僕を助けたことを、後悔するだろうよ」
 杖を通さない呪詛が俺の頭を侵食した。助けても助けなくても後悔するなら、お前はどっちを選ぶんだ?


 美しい歌を聴いた。天の歌だ。何もかもがそこでは正しく、大いなる流れがあった。俺の問いに対する正しい答えが全てそこにあると直観で理解した。けれど。間違いだらけの世界にやり残したことがある。目を覚ませばそこにネルとパリスがいて、俺は心から安堵した。帰ってきて、迎えてくれる人がいる。しかし、そうでない人間があの書を読んだとき、彼は帰ることを選択できるだろうか。いや、できはしないと俺は確信していた。


■■■


 ひばり亭で鉢合わせても話をするどころか顔を合わせもしない俺たちを見て一番やきもきしていたのがネルだった。いよいよ墓所に突入すると決めたとき、ネルが奴の名前を呼んだ。貴重な本がいっぱいあるかもしんないよ、アベリオンと二人で探したら効率いいでしょ?私おとなしく待ってるからさ。そんな見え見えの口実にのってくるような奴ではないと思っていたが、意外にも即座に断ることはせず、ただじろりと俺を一瞥した。
「……来るなら来いよ、別に来なくてもいいけど」
 俺の一言に何を思ったか俺が知るところではないが、舌打ちのあと席を立ち奴はネルに声を掛けた。
「僕は僕で勝手にするからな」
 いつも勝手じゃねーかてめーは。言いかけた言葉は、ネルの「はーいじゃーしゅっぱーつ!」というどことなく元気がから回った台詞にかき消された。

 墓所はどちらかといえば副葬品の類が主な収穫物だったが、16世の玄室とおぼしき場所でいくらか古代の文書を発見することができた。俺と奴は離れて物色していたが、ある一角で俺は見覚えのある装丁の本を見つけてしまった。死者の書、しかもまだあいつが手に入れてないであろう下巻だ。このまま何食わぬ顔をして放置するのも手だったが、見つけてしまったものは見つけてしまったので、俺も俺で勝手にすることにする。
「おい」
 そういえば遺跡に潜ってから初めて声をかけた。ごろつきもかくや、という威嚇する目つきで振り向かれ、一瞬やっぱりやめようかとも考えたが、呼んでおいてやっぱりなんでもないというのもおかしいので仕方なく手にしていた本を押し付ける。
「ほら」
 手を空にした俺はさっさと背を向けて古文書の発掘作業を再開する。あー、政治方面の資料ばっかなんだよなここ、そら皇帝の墓だからそうかもしんないけど、テレージャならともかく俺はそんなのどうでもよくてだな……。
「……ふざけるなよ」
 腹から絞り出したような声が玄室に響いた。ネルが不安そうに顔を歪める。背後を振り向くと、これ以上ないくらい苦々しい顔をしたやつが立っていた。
「……何が」
「ふざけんなよ! なんだよこれ施しのつもりか!? 『鍵の書』の代わりか、僕にはこれで十分だってか!? 馬鹿にしやがって!!」
 人が親切にも当人の欲しがっているであろうものを手渡してやったらこの反応だよ。俺じゃなくてもキレるだろう、これは。
「ああ!? なんだよてめえその言い草いっつもいっつも『死者の書がどうしても欲しいんですお願いします譲って下さいアベリオン様』って言ってくるから今回は言われる前にやっただけだろーがよ!」
「はああ!? 僕がいつそんな言い方したよお前相手にへりくだったことなんか一度もないね調子乗るんじゃねーぞ死ね! いや殺してやろうか!」
 俺よりも先に奴が杖を手に取り、俺も受けて立とうとしたところで、ネルの声が割って入った。
「やめてよ!! こんなとこで仲間割れなんかしないで!!」
 仲間? 俺とこいつが? いつ仲間だった? 猛烈に反論したいところではあったが、ネルが泣きそうな顔で、しかもその手には達人の投擲斧が握りしめられているのを見て、俺たちは双方杖をおさめた。最悪な気分だ。墓所に入ってからというものの、あたりに充満する死の空気に当てられている。あれだけ死を讃美していた目の前のこいつも例外ではないと見え、身に纏う刺々しい気配は収まらない。魔力のチャンネルをほぼ持たないネルがこういうところでひどく羨ましくも思えたが、いつも暢気な顔をしているこいつが心配でいっぱいの表情を浮かべていて、陰鬱な空気は俺たちを通してネルにまで伝わっているのがわかり、考えを改めた。
「……わりぃ」
 短い謝罪の言葉にネルはかすかに頷いた。隣の奴は、舌打ちをして終わった。


 お前は力を手にしてどうするんだ? 俺は昔は名を轟かせたいと思っていた。田舎町の更に外れの森に小さく収まっているジジイのようにはならないと誓い、俺はいつか大賢者として有名になってやろう!という夢を抱いていた。何をして有名になるの?と無邪気な瞳でネルにきかれたときは答えに窮してしまったが、まあ、すごい魔法を使えれば勝手に有名になるだろうとなんとなく思っていた。そのためにする勉強は、ジジイにやれと言われると腹が立つもんだったが、しかし本を読むのは嫌いじゃなかった。本の中の世界はいつだって広大で、荘厳で、肉体に縛られた魂を解放してくれる。魔術は解放の一種だった。遺跡の呪い騒ぎは最初こそ俺が原因かという責任感があったが、次第に不謹慎ながらも探索が楽しくなっていったことは認めざるをえない。勿論チュナのお見舞いを欠かすことはなかったけれども、今までに学んだ魔術を活かし、更なる呪文を体得していって、タイタス16世を倒し、親玉討ち取ったりぃ!という達成感と英雄の名誉を得ることができたときは、確かに満足していたんだ。
 それが全て用意された道筋だったなんて誰が想像できただろうな。


 逃げるようにして白子族の街から墓所へ戻ってきて、俺は今泉の前に座り込んでいる。襲いかかってきた渡し守を返り討ちにしたが、俺たち三人の中に船を動かせる人間はいないのでいったん帰らなければならない。ならないのだが、俺はその場から動くことができなかった。『御子』と奴は言った。あの異形の女も俺をそう呼んだ。ふと泉を見ればこれまでの人生ずっと付き合ってきた俺の顔が見えた。だがその向こうに、俺ではない誰かの顔を幻視して硬直する。それは白子族の中の誰かだったかもしれないし、あるいは――。
「アベリオン……」
 ネルはずっと俺の側にいてくれている。そうだ、俺はアベリオンだ。ホルムの街で、あの薄汚いぼろ家でしみったれたジジイと一緒に暮らしてきて、時にはパリスと商店街でいたずらをして派手に怒られ、時にはネルの熊力で頭を割られ、そうだ俺はアベリオンだ、ただのアベリオンだなのに俺はなぜ王の証たる秘石を持ってここに来ている?
「なにシケたツラしてるんだよ。出生の秘密が明らかになって絶望してまちゅってか?」
 いっこうに立ち上がる気配を見せない俺にしびれを切らしたのか、ろくに会話をしなかった奴が言葉を投げかけてきた。絶望。ああ、これが絶望ってやつか? 師匠が殺されたときですらこんな無力感は感じなかった。だって次に何をしたらいいかわからない。次にすることも全てタイタスに定められたことかもしれないと思うと動くことができない。遺跡に呼ばれたのも、16世を倒したのも秘石を全て集めたのも、俺を拾った師匠がタイタスの著した本を持っていてそれを俺に託して死んでいったのも、全部が全部定められたことだったのか? 俺の持つ力は本当に俺のものなのか? 大いなる流れの中で、水流に逆らうことが出来ずただただ必死に浮かんでいるだけの一枚の葉。眺めているつもりで眺められているのは俺だったのか。
「……ふざけんな、馬鹿。贅沢いいやがって」
 苛立ちのこもった声が俺を揺さぶるが、今の俺は怒りすら湧いてこなかった。贅沢? 何が贅沢だというのだろう。俺は今俺のもつ全てが俺のものではないのかもしれないと恐怖している。全てがあやふやな俺の、何が贅沢だというのか。お前はこの期に及んで何を求めてるんだ? 理解しようという気も起こらなかった。


 この先どうしたらいいと思う?という問いには誰も答えなかった。俺がタイタスの器であることはもはや確定事項だった。このまま俺が墓所の最奥へ進んだらどうなるのか、想像には難くないことながら誰も口にはしなかった。俺だって口にはしたくなかった。ただし、このまま放っておいても事態はいっこうに改善されないことは確かだった。更に言えば秘石を持てない俺以外の人間は墓所に入ろうとしても開いたはずの封印が再び拒むのだという。災厄の中心は俺を待っている。口を大きく開けて、熟した果実が飛び込むのを待っている。
 どうしようもない絶望感と共に遺跡を彷徨う。墓所に入るには勇気が足らず、けれど街でじっとしている気もせず、あてもなく歩き続ける。うつつに残った帝都の残骸を踏みしめる。タイタス16世を討伐したことで宮殿内の瘴気はだいぶ薄まっているらしく、近頃は多くの人物が入っては財宝を運び出しているらしい。最初はあんなに恐ろしく感じられた内装にも今や慣れてしまい、堂々と一人で歩けるようになっているのが不思議だった。中庭の泉のへりに腰掛け、死体に咲く赤い花を遠巻きに見つめるとそれが他人事ではないかのように感じられて、苦々しい気持ちでいっぱいになった。
 足音がする。敵か、と身構えたが、闇の中に目を懲らせば、そいつは己のよく知るところの人物であった。
「――何やってるんだお前」
 赤毛の妖術師が杖を片手にぶらついていた。そのあまりの気軽さに毒気を抜かれる。
「何やってんだって、お前こそ何やってんだ」
「はあ? 見ればわかるだろ、僕は呪術書あさりだよ」
 ま、大した収穫はなかったけどな、と肩をすくめるその様子を俺はどこか遠くを見るような感覚で見つめる。反応の薄い俺を奴はじっと見下ろしている。
「……行かないのかよ」
 どこに、というのは今更愚問だろう。俺は沈黙を選択する。
「………」
「僕びびっちゃっていけませーんってか? はっ、情けないな」
 挑発にのることすらも今は煩わしかった。いっそ喧嘩できたら気も紛れるのかもしれないが、やってどうなる、という自分の声を聞くと動くのも大儀になった。自分の声、頭の中に響く自分の声は本当に俺のものなのだろうか、その確信すら今はもてない。行かなければならないという使命感に似た思いが俺を駆り立てる、だが、本当にそれは俺自身の思いなのか?
「………」
 ただ黙っている俺に興醒めしたのか、それ以上奴が挑発してくることはなかった。
 続いて紡がれた言葉は、冷えた温度でもって俺の耳に伝わる。
「一緒に行ってやろうか?」
 俺は奴を見上げた。気遣わしげな風を装った台詞を、薄ら寒い笑みが修飾している。
「……一緒に行ってどうなるってんだよ」
「怖いんだろ? だから僕がついてってやるって言ってるんだよ。ほらあ、よく言うだろ、仲間がいれば怖くない!とかさあ」
 嘲りの表情を隠すこともせずよく言うものだと感心する。俺の問いには答えない、さて、こいつの狙いは何なんだろうか。
「お前が俺の仲間だって? 初耳だな、それ」
「僕も初めて言ったよ」
「……で、正気をなくした俺を殺してくれたりするのか?」
 俺の言葉を聞いて一瞬だけ表情を消したこいつの意図はわからないが、次の瞬間にはまたすぐ人を馬鹿にした笑みを顔に貼り付けたので、ああこいつはどうしようもねーなと思う。
「お望みならいつだってくれてやるよ。とびっきりの死を」
「そうかいそりゃありがてえな」
 実際そうされた方がありがたいのかもしれない。短い沈黙がおりる。先に口を開いたのは相手の方だった。
「なあ、もしお前が死んだら、タイタスはどうすると思う?」
 俺が死んだら。そんな想像は俺にとってはしたくもないことだったが、場合によっては当然ありうるのだろう。
「……知らねーよ。また次の『御子』が来るまで待つんじゃねーか」
 始祖帝に一番近い肉体を、というからには、他の人間では駄目なのだろう。どうも奴は俺を操るではなく完全に乗っ取って復活する気らしい。それならば代用のきかない俺が死んだときは、待つ以外に方法がないだろう。
「………」
 俺の返答で相手も黙り込む。陰鬱な空気は宮殿にいるからだけではなく、俺は頭を抱えたくなった。赤い花を視界から外そうとして、泉に視線を落とした。
 思えばこの泉は不思議なもので、俺がこれから先行くところを映し出す力を持っていた。狂った皇帝、囚われの妖精王、小人の戦、巨人の墓標、そして幻の都の巫女に、死が渦巻く墓所。
 次に映るのは覇王となる俺自身か、それとも――。吸い込まれるように俺は水面に顔を近づけた。

 輝きを見た。気がつけば俺の手には月長石が握りしめられていた。4つの秘石と同じ力を持ちながら、秘石にはない力――意思がそこにあった。
 これはタイタスの意思ではない。
 俺は確信したと同時に、俺がまだ俺であることを理解した。俺にはまだ抗う力がある。手の中にある運命という球を思い切り転がしてやる。これならば奴に対抗できるという確信と同時に、俺は墓所の奥に向かう決意をした。
「お、おい!」
 ありえないことだが、声をかけられるまで隣にいた奴のことを俺はすっかり忘れていた。振り返るとその視線は俺の手の中の石に固定されていて、どこから見つけたのか心底不思議そうな顔だった。
「これは大丈夫だ」
 何が大丈夫か――とにかく大丈夫だ。ずっと俺を苛んでいた頭の痺れが和らいだ気がする。とにかく俺は今すぐ行かなくては、死の更に奥へ。
「どこ行くんだよ!」
 一目散に歩き出した俺の背中に奴の声がぶつけられた。
「決まってんだろ」
 街に戻るつもりもなかった。元より俺の問題だ、一人で行くのが一番正しい在り方だと疑いもしていなかったのだが、だからこそ次の言葉には驚いた。
「待て、僕も連れて行け」
 迷いのない瞳が俺を射貫き、有無を言わさぬ意思を俺に伝える。返事に躊躇する俺を待たず、奴は先に廃墟への道を歩き出した。
「おい、お前が来る必要はねーよ」
 これは俺が対峙しなければならない問題なのだから――、と言いかけたところで、奴がきっと睨み付ける。
「あるんだよ。僕だって、行かなきゃならないんだ」
 何のために、とは聞かなかった。なんとなく聞くのが躊躇われ、また奴が口を割るとは到底思えなかったからだ。後から思えば、無理にでも白状させるべきだったのかもしれないが。



 俺を絡め取ろうとする闇が徐々に薄まっていく。全身に降伏しろと語りかける圧力をおしのけて、イーテリオのかけらを握りしめ、俺は定めを打ち砕いてみせたのだ。星系から五体に繋がる、大いなる力をもって俺は俺自身の流れを動かすことができるということを証明してみせた。タイタス、お前は確かに天を極め地を治め、神々や古代の種族から得た力をもって大きな流れを作り出してみせたのだろうが――その力は俺には不要だ。
『余が与えた運命から逃れたか……。だが――余が用意した手立てもまた一つではない』
 そいつはまたご丁寧なことでいたみいる。だったら何度でも遠慮願うまでだ。
『栄光の都に来るがいい。影ではなく実体をもってそなたをねじ伏せ、その肉体を奪うとしよう』
 闇が遠くへと去ってゆく気配がある。ここではないどこかが決着の地になるのだという予言をし、退いていく奴を見て俺はかろうじて支えていた体を床に下ろす。タイタスがここで危害を加えることはもうないと判断しての行動だった。
 俺はタイタスばかりを見ていて、隣を全く意識していなかったことに気がついていなかった。
「おい、待ってくれ……。待てよ!」
 突然、隣の野郎が闇に呼びかけた。退いていく闇に向かって奴は一歩、歩み寄る。
「僕に力をくれ。お前の知識を、僕に教えてくれ!」
 おい何を言ってるんだお前は。
「その代わりにお前に手を貸す。一緒に連れていってくれ。アベリオンが駄目なら僕を使え!」
 闇が笑った。更に一歩、奴が歩を進める。俺から離れていく。
『力に対するその渇望。余が小さく愚かであった頃に似ている。ならば来い。そなたに力をくれてやろう。』
 あいつが手を伸ばした。それに呼応するかのように、影が渦巻き、そして。
「――おい、待て!!」
 手を伸ばす隙もなかった。闇が去った後、そこに残されていたのは俺だけだった。

 そういえば魔王とかなんだとか言っていたあいつの言葉は冗談めいた響きを持ちながらも一方で本気で言っている節もあった。英雄ではなく何故どうせ倒される方の魔王に執着するのか俺にはちっとも理解できなかったが奴いわく悪人の頂点を目指すのは悪の美学として当然だということらしい。歴史上後世から悪とみなされる為政者やあるいは自分が生きていくために悪事に手を染める悪人は俺もわからないではなかったがこいつのように自分から悪を目指している奴は極めて理解しがたかった。そもそもわざわざ悪人になろうとする悪人なんているのかね、手段のための悪ならともかく目的のための悪なんて自分に全くメリットがないじゃねーかと思うのだが、これまた奴いわく偽善者は力を押さえつけるから駄目なんだと。まあ神殿の行き過ぎた魔術の規制は俺もどうかと思うが、別にそこまで力を讃美したいわけでもないと言うと奴は馬鹿を見る目で俺を睨んだ。力が全てだ、力なくしては何も為せない、中でも死の力は格別だ死によって断たれぬものはない。奴は俺に語っていたのか、それとも自分に言い聞かせていたのか。ああそうだなお前はずっと――いつからかは知らないがずっとそうやって自分を正当化する理屈を打ち立ててそれにしがみついてきたんだろう、でもそれは本当はお前自身間違っていると、本当の意味でお前を救いやしないとわかっていたくせに中途半端な意地をはって退路を自分で断ち自分から力の中へ飛び込んでいったんだ、この馬鹿。


■■■


 つまりあいつはまったくもって大馬鹿野郎だ。力を求めて、戻るすべもしらず、力を求め続けて、その結果がこれだよ。空中都市アーガデウムで俺は見飽きたツラと再会する。僕を使えとかのたまったその結果がそれかよばっかじゃねーのなさけねえものの見事にのっとられやがって本当にこいつふざけんなすぐにそいつを離せ。
 闇の剣が俺をとらえ、まっすぐに振り下ろされる。歪んだ笑みはあいつのものではない。あいつの笑い方はもっとむかついて鼻につくうざったさで人を小馬鹿にする感じで、そんな薄暗いものじゃねえんだよ!
 宮殿や墓所のタイタスたちを思い返す。始祖帝は歴代のタイタスを巧みに誘惑し、帝国が滅びぬよう操ったが、完全に人格を乗っ取られた者はいなかった。死後、彼らの意思は墓場に留まりつづけていた。死後にまで残っているなら、生きている間に失われているわけがない。自分の名を呼べと叫んだタイタスがいた、それは己を失わないための最も確かな方法だったのだろう。
 俺は俺の知る馬鹿の名前を精一杯、大声で、叫んだ。
「シーフォン!!」
 あいつの指先が一瞬だけ固まったような気がした。

 赤い、赤い光が降り注いでいる。夕日にも似たそれはあいつの赤毛と同化し、流れる真っ赤な血も柔らかに見せていた。あいつと俺の視線がかちあい、あいつは口の端だけつりあげて年齢に不相応な皮肉な笑みを浮かべた。シーフォンだ。
「…………んだよ……」
 んだよじゃねえよ馬鹿かお前は、文句を言いたいのに言葉が喉に詰まって出てこない。
「…………笑えよ」
 何が笑えるかお前の冗談はいつも冗談になってなくて笑えねえんだよボケが。止まっていた足に叱咤し一目散に駆け寄る。タイタスなら避けるだろうと判断して牽制に撃った氷の槍が腹を貫いており、そこから血がとめどなく溢れていた。ちくしょうあいつ、捨てる肉体だからってわざと当たりやがったな。
「…………そんな……顔……するなよ……」
「うるせえ!」
 視界がにじみ、鼻の奥につんとした痛みが走る。涙腺だけは鍛えられるもんじゃないだろつまりこれは肌が白く目が赤いのと同じで生まれつきだ笑うんじゃねえ。俺は<上霊>を手にありったけの魔力を込めて女神の名を呼ぶ。奴の血まみれの腹に触れる。後ろではネルとパリスがありったけの傷薬をかき集めている。
「…………おい……なに、すんだ…………」
「治すんだよ!」
 この状況でそれ以外あるか本当にこいつは馬鹿だと改めて感じ入るが、一方シーフォンはシーフォンで信じられない馬鹿を見る目で俺を見ていた。やがてゆるゆると力の入らない右手で俺の手首を握り、血に溢れた口から抗議をはかる。
「余計な、こと、するな……!」
「ああ!? 何が余計だ! このままだとお前死んじまうだろーが!」
 死んだら終わりだ、死んだらもはや何もできはしない。這い寄るミルドラの手を振り払わなければならない。けれどこいつは、そうだこいつは自らミルドラを追い求めているやつだった。
「……これで……いいんだよ……」
 うつろに呟くシーフォンの目は、俺を見てはいなかった。俺ではない、他の誰かに語りかけているかのようだった。
「力を……ぶつけあって……どちらかが…………死ぬ。当たり……前の、ことで…………だから僕は……悪く、なくて…………」
 それは懺悔というにはあまりに傲慢で、開き直りというにはあまりに儚い言葉だった。死をもたらし、死に魅入られ、死を求めた人間が、今まさに死に還ろうとしている。
「……今度は、僕の……番だ。…………僕に……ふさわしい……末路だ」
 満足そうな笑みを浮かべたシーフォンの手から徐々に力が抜けていく。血は未だに止まらない。パリスは手を血まみれにしながらどうにか止血しようとしている、ネルは傷をとにかくふさぐといって針と糸を用意している。俺は麻酔代わりの呪文を唱えなければならない。けど俺は頭がすっかり沸騰していて、気付いたら治療の詠唱とは関係のない台詞が口からついて出ていた。
「ぜんっぜんふさわしくなんかねーよ」
 シーフォンが俺を見る。
「力をぶつけあったらどっちかが死ぬってばっかじゃねーのそれだったら喧嘩のたびに死人が出ることになるじゃねーかおかしいだろそんなの、力が死ぬ力だけだと思ったら大間違いだこの世には死ぬ力と生きる力があるんだよ!」
 助けたことを後悔するだろうとこいつは言った。そうだなまさしく今こんなことになって俺はひたすら後悔しているところだ。俺ばかりが後悔するのは不公平だ、こいつばかりに満足させてなるものかお前も全力で後悔しろ。
「後悔させてやるよ、助けられたことを後悔させてやる、タイタスの力を借りても俺に勝てなかったって言いふらしてやる、全然役に立たなかった死の魔術を馬鹿にしてやる、俺がお前の間違いをこれ以上なく追求してやる、お前は間違ってるって言ってやる、だから」
 涙を拭うことなく、みっともない有り様で俺は叫んだ。
「絶対に、死ぬな!」
 そのときだった。胸にさげたイーテリオのかけらが突然強く輝きだした。懐かしい誰かの手が俺の頬を拭い、シーフォンの腹に触れた。
 一瞬の閃光のあと、最初に目が利くようになったのはネルだった。ネルはシーフォンの患部をまさぐっていた右手を動かし、へその上を撫でた。一瞬前までそこは無惨にも貫かれ切り裂かれた肉が見えていたはずだったが、今はもうまるでそんなものがなかったかのように傷口がふさがっていた。
「嘘……傷、なくなってる……」
 俺たち4人は阿呆のように口をあんぐりと開けて顔を見合わせた。が、ネルの言葉で俺たちは再び救急行為を再開する。
「と、とりあえずよくわかんないけど、傷がふさがったんなら止血はもういいね! あ、でも中どうなってるかわかんないから、アベリオン念のためにお腹の中、内臓に治癒術お願い! あとは……えっと、パリス! お水! 塩をありったけ入れたお水! 流れた血を作ってもらわなきゃ困る!」
「お、おう!」
 一番の問題は解決できたかもしれないが、まだどうなるかわからない。俺たちは手を尽くし、その間シーフォンは信じられないものを見るかのように自分の腹を見つめていた。

 それから一刻、シーフォンは意識を失うこともなく、血も止まり傷も完治し、どうにか奴を死の淵から引き上げることができた。ただし助けられた本人は苦虫を噛み潰したような表情で礼も何も一言も発しない。重苦しい沈黙が続く中、耐えきれなくなったネルが口を開いた。
「あー、良かったね、シーフォン君! 助かって本当にほっとしたよ!」
 笑顔で話しかけるネルにむかって、対するシーフォンはチンピラそのものの目つきでにらみ返した。
「誰が助けてくれって頼んだよ」
 こいつほんっっっっっとうこの捻れた性格どうにかなんねえかな。
「これで終わると思ったんだ、なのに、アベリオンお前はどこまで僕をみじめにさせたら気が済むんだ!」
 なんで助けたのに文句を言われなければならないんだ、俺のただでさえ短い忍耐が限界に達しようとしている。
「助けてくれなんて言ってない! 力のぶつかりあいで、敗れた者が死ぬのは当然の末路だ! それを無様に生きながらえさせて、何がしたいんだよお前は!」
「俺からしたら何がしたいのかわからないのはお前だっつの!」
 これはキレた俺は悪くないだろう。
「力が欲しいとか言いつつなんだテメーあっけなく死にかかりやがって、お前の執念はその程度なのかよどんな禁書を読んだって死んだら何の呪文も唱えられないんだろーが! あーあー無様なら無様で結構ざまあみろ負け犬、お前は一生大賢者アベリオン様との力の差を噛みしめながら己の才能の無さを恨んで地べたをはいつくばりながら生き続けろ」
「よーし上等だ杖を取れ!!」
「叩きつぶす!!」
「やめなさーい!!!」
 売り言葉に買い言葉で第2ラウンドを始めようとした刹那、ネルのグーパンチが俺とシーフォンの腹を直撃した。や、俺はともかく、こいつの腹ってさっきまで穴開いてたんだけど、そこんとこいいんですかネルさん。
「さっき死にかけたばかりなのにどうしてそうまた喧嘩するの……!」
「おいネル、腹はやめろ、腹は」
 パリスが冷静につっこむと、ネルは「あー!」と大きい声を出してうずくまるシーフォンの背中をさする。腕力系ドジっ子は全く可愛くないな。
「ごめんシーフォン君! 大丈夫!? ごめんね! まだ治ってないよね!? 大丈夫!? また痛くなってない!? 本当ごめん!」
「……の、馬鹿女……!」
 涙目でうらみがましくネルを睨みつけるシーフォンはまったくもっていつも通りだ。俺も一瞬ひやりとしたが、特に悪化したりとかそういうこともないようだった。
「僕は絶対お前を許さないからな」
 馬鹿がなんか言ったが、大賢者アベリオン様はこれくらい全く意に介することはない。
「別に許されようともおもわねーし」
「てめえ……」
「でも俺はお前が死んだら許さねえからな」
 するりと出た言葉は、アーガデウムの巨大な歯車に吸い込まれる。奴は驚いたかのように目を見開いてから、二の句を継ぐ。
「……僕がどこでのたれ死のうと、僕の勝手だろう」
「勝手じゃねえよ死ね、いや死ぬな生きろ」
「はあ? なんなんだよお前意味わかんないんですけどー?」
「うぜえ死ね。いや死ぬな生きろ」
「……お前本当何が言いたいんだよ」
「生きろ」
 もう二度とあんな姿を晒すな、死ぬことを受け入れるな。いつもと同じクソうぜえツラの下には真っ赤に染まったローブがあり、それが先ほどの絶望的な状況を脳裏に呼び起こした。また鼻の奥が痛み、視界がにじむ。ああくそ、拭っても拭っても後から涙がしみ出てくる。でも俺は泣かねーぞ、涙が目からあふれ出るまでは泣いたとは言わねえ。
「…………」
 シーフォンが呆れと困惑の入り交じったような顔でこちらを見つめる。なんだよそのツラ、喧嘩売るなら買うぞコラ、でも息が落ち着くまで少し待て。
「……アベリオン」
 パリスが横に座り、俺の肩を抱き寄せて背中をさすった。その拍子に目の端にたまった涙がこぼれ、ああ俺は泣いちまったと思った瞬間、我慢していた声が出た。
「……シーフォン君、ね、約束してくれないかな? アベリオンと、私たちとさ。もう無茶なことしないって」
 ネルがシーフォンの目を見ながら問うと、奴はとうとうあからさまに困ったような顔をしてぐっと言葉に詰まった。ぺらぺらとよく口が回るこいつにしては珍しい。奴が口元を隠すようにして頬杖をつき、黙って俯いた隙に俺は呼吸を整える。
「……2回だ」
 ぼそっと、あくまで地面を見ながら奴は呟いた。
「僕はお前に2回負けてる。大廃墟と今のとで2回。しかも2回ともわざわざ僕を手当てなんかして馬鹿にしやがって、僕はぜっっったいにお前を許さない。だから」
 シーフォンが顔をあげ俺を力強く指差し、宣言した。
「僕がお前を完膚無きまでに打ち負かして、今までナメててすみませんでしたシーフォン様私はあなた様には三点倒立しても構いませんという台詞を吐かせるまで、僕は絶対に死なない」
 完膚無きまでに打ち負かすまで死なない、ということは。裏を返せば俺が負けなければ絶対死なないということか。俺はそう解釈した。いいぜ、お前がそのつもりなら。
「……やれるもんならやってみろ!」
 パリスが呆れたように溜息をつき、ネルが仕方なさそうに笑った。
「男の子はこれだからねー?」
「こいつらが馬鹿なだけだぜ、これは」


 なべて世はこともなし。紫色の水晶も宙に浮かぶアーガデウムも、過ぎ去ってしまえばただの思い出だ。空中都市が崩壊してから一ヶ月後、変異も解決し夜種も減少し、正式な調査団による発掘も検討されはじめた遺跡には探索者などというヤクザな商売者が入る場所は少しずつ減っていき、ホルムの街からも徐々に集まった人々が去っていきはじめている。かくいう俺も、ホルム人ではあるのだが最近オハラの「いい加減出て行け」オーラが厳しくなってきているので新居をもっぱら検討中だ。できれば家畜も飼えて薬草も植えられる元の場所が一番いいのだが、どんなぼろ家でも新しく家を建てるのは金も時間もかかる。まあ正直金の方は領主方が何とかすると言ってくれているのだが(フランの口添えの力も大きいかもしれないが、一応それなりに『ホルムの英雄』への待遇は厚かったことを記しておく。パリスは若干複雑そうな顔をしていたが)、時間はどうしようもない。家を建てるにしても出来上がるまでどこか借りるか、パリスんちにでも転がり込むか、思案のしどころである。
「何うんうんうなってんだ、おまえ」
 人を馬鹿にした声は通常運転なので、ここで気にしたら始まらない。横を見るとやや眠気の残る顔をしたシーフォンが突っ立っていた。
「色々悩んでんだよ」
「ふーん」
 全く興味なさげにやつは相づちをうち、乱暴に椅子をひいて対面に座った。いつもの窓際の指定席だ。
「どーせくだらないことだろ」
「ちっげーよ馬鹿、俺もそろそろひばり亭卒業しなきゃならんと計画練ってるんだよ」
「ああ、お前もか」
 こともなげにシーフォンは野菜サンドを頬張りながら答える。俺はこのついでに、今まで聞きそびれていたことを聞いてみる。
「……お前はこの先どうすんだ?」
 奴が口の中のものを嚥下するまで若干の沈黙がおりた。シーフォンは小脇に抱えた本を手に取り、膝の上に置く。
「……遺跡の大図書館から墓所まで調べて回ってるんだが、もう大したものは残ってねえや。タイタスの魔術を全て学びたかったが、やつの消滅と共にほとんど失われた。潮時だろうな、この町にいるのも」
 やつの持っている本は俺も何回か見たもので、そもそもこいつが食事をしに降りてきているということは寝食を忘れて没頭するような新しい本が手元にないことを意味していた。
「また、どこぞの城の図書室から稀覯本を盗みながら逃げ回る生活に戻るか」
 けけっ、と笑うこいつに反省の色は全く見えない。ネルがいたら呆れながら説教タイムだろうなこれは。駄目だこいつ、早くなんとかしないと。
「……だが、てめえにコケにされたままなのだけが心残りだ」
 ふ、と顔を上げると真剣な顔をしたシーフォンと目があった。
「久しぶりだったよ。僕が全力で挑戦したいと思える相手はよ」
 挑戦、な。勝手に喧嘩ふっかけてきただけだろうとも思うが、まあ、こっちも売られた喧嘩は全力で買うタチだ。
「待ってろよ。何年かかってでも、必ずお前より強い力を身に付けて戻ってくる」
 やれるもんならやってみろばーか。とりあえず次にナメた口をきいたら大いなる秘儀を使ってやろうと決意する。多分そういう使い方をした途端、天国のジジイが俺に雷を飛ばしてくる気もするが。強い力ってのは得てしてよく制さねば自分に返ってくると俺は教えられたものだ。そういうことを奴は教わったのだろうか。
「……どうしてそんなに力が欲しいんだよ」
 俺にしてみれば当然の疑問を、シーフォンは馬鹿のする質問のように受け流す。
「どうして? どうしてもクソもあるか。それが当たり前だからだ。ひとたび魔術に魅入られれば力を求めずにはいられなくなる。より強く、より高度に、より自由に!」
 高らかに主張するやつの様子から察するに、力に対する根本的な姿勢は変わっていないと見える。あんな目にあっといて、懲りねえ野郎だな全く!
「で、より自由な力を求めて、方々から逃げ回るこそ泥生活かよ」
 こんな片田舎で暮らしていたジジイの耳にもこいつの悪名が伝わっていたということは既に結構やることはやってるんだろう。実力派探索者としてこいつの名が通っているホルムの方がきっと珍しいのだ。
「うるっせー。いいんだよどうせ、手に入れるもん手に入れたら用はないからさっさと街からおさらばすればいいだけの話だ」
 おさらばして次はどこへ行くんだお前は。
「大きいところなら街を出る前に検問があるだろ、そこでつかまったらどうすんだよ」
「盗んだことが発覚する前に脱出すればいいんだよ。どうせ門番の兵士どもに希少な本の価値なんてわからないからな、手配される前なら荷物を改められても何の問題もない」
「即手配されてたら?」
「そんな手落ちはしねーよ」
「もしもだよ」
「万が一捕まりそうになったら、天雷陣一発で無理矢理どかすだけだ」
「お前ぜってーいつか投獄されっぞ」
「だからそんなヘマはしないっての」
 ああ本当に駄目だこいつ、駄目すぎて駄目だこいつ、どうにかしないとならねえよこいつは。
「……力が欲しいんなら」
 力を奪うでなく、もっと違うやり方があるということを伝えなければならない。
「俺と一緒に修行すればいいだろ」
 するりと口をついて出た言葉は、俺自身深く考えて言った言葉ではなかったが、それだけに俺の心にすとんとおさまった。そうだよ、そうすれば結構丸くおさまるんじゃないか?
「…………ハァ?」
 だが目の前の相手にとっては想定外も想定外だったらしく、思いっきり変な顔をされた上にいつも通りの罵倒を並べられる。おいその反応はねーだろ。
「お前、アタマ大丈夫? 僕ちゃんはね、お前を倒すために修行するって言ってるんですけど? 脳味噌働いてまちゅかー?」
 うぜえ。やっぱこいつうぜえ。しかしここでやっぱりさっさと出てけというのは負けた気がする、負けるのだけは我慢がならない、俺はむきになって叫ぶ。
「うるっせえ! いいから俺と一緒にいろっつってんだよ!」
 ホルムならお前が追われることもないし、お前に優しいネルや駄目仲間のパリスもいるし、それにまあなんだその、ジジイのいない今俺が高度な魔術の話できるのはお前だけだし、という言い訳のような本音が頭を巡るが言葉にするには頭が熱しすぎていた。だが、よく考えれば言い訳もなしにその一言だけの方がよっぽどまずかった。
「………………」
 シーフォンの顔から表情が消え、ただ俺を見つめていた。お前どうしたらいいかわからないときその顔するのな、まあ俺もこの場合どうしたらいいかわからないんだけど、えーと、どうすればいいんだこれ。
「キモッ!」
 異様に長く感じられた沈黙を打ち破ったのはこいつの身も蓋もない反応だった。いや、そりゃ俺だって同じこと言われたら同じこと言うだろうけど、こっちはこっちで事情があって発した発言であってだなってそれを言うのもまた癪で、あああちくしょうむかつく!
「お前、なに気色悪いこと言っちゃってるわけ? 正気? 脳味噌大丈夫?」
「……っ、てめっ、ちがっ、そーいうんじゃなくてだな、そのっ……!」
 あああ失言だった、言うんじゃなかった、いやむしろ最初からこんな話するんじゃなかったいやむしろこんな奴に最初から関わるんじゃなかった! 俺はしどろもどろになりながらあの日ひばり亭でこいつとの勝負を受けてしまった人生の選択を後悔していると、シーフォンが頬杖をついて窓辺に視線をそらし、言葉を紡いだ。
「……まあ、お前とは関係ねえけど」
 念押しのあとに奴は続ける。
「もう少しだけ、この町で遺跡を調べていてもいいかもな……」
 そう言うと、シーフォンは俯いた。手元の本を見ているかのようだったが顔の向きからいってそうではないことはわかった。長い髪が目元にかかり、頬杖をついた手は口元と頬を覆っていて表情が見えない。ああ、顔隠してんのか、と気付いたときには、自然と俺も相手から目を逸らしていた。やめろ馬鹿そういう反応される方が余計こっちも恥ずかしくなるだろ。
 大きな力といえば宇宙に満ちるエーテルを使役する力をすぐに連想してしまうが、本当は、何も魔を呼ぶ呪文だけじゃない、ただの言葉にも運命を動かす力はあるのかもしれない。少なくとも目の前の一人は動かすことができたのだから。

 とりあえずは街の西側の貧民街でどっか適当に安いところを借りよう。地理条件にはあまりこだわらないが、ありったけの本を置いておけるだけのスペースはあったほうがいい。その上で、更に二人で寝ても困らないだけの空間がなければならない。結構難しいかもしれないが、まあ、目の前のこいつにも物件探しを手伝わせればいいだろう、と俺はフルーツサンドを頬張りながらこの先の展望に思いを馳せた。